【八神純子さん】…1978年「思い出は美しすぎて」でデビュー。ビッグヒットを連発し一世を風靡。透明感のあるハイトーンヴォイスと豊かな声量で聞く人を魅了するシンガーソングライター。現在は米国在住であるが、東日本大震災を機に月に1回程度来日しており、復興支援のためのチャリティライブを国内外で数十回行い、被災地に寄付を届けていただいた。ライブでは、ヒット曲のほか、復興への想いをこめて作られた「翼」や、大槌町を訪れた際に小学生からもらった感謝のカードに書かれていた言葉をもとに作られた「枯れ木に花を咲かせましょう」を歌い、多くの人に感動を届けている。また、数えきれないほど岩手を訪れ、炊き出しライブや仮設住宅でのお茶会などで被災した方々を励まし続けている。
私なりの「支援の教科書」。 
 これまでの支援活動は、本当に私流で、教科書がある訳じゃないんです。自分が信じたことを、信じた仲間たちと一緒にやっていく中で、自分なりの「支援の教科書」ができてきたという感じです。その教科書は、「○○編」「□□編」と項目が分かれていて、とにかく思い立ったことは、「行って」「やってみる」というのが大切であったりとか…。何度か被災地に伺う都度、皆さんが私の「帰り」を待っていてくださっていて、ときには仮設住宅におじゃましたり、そこの人たちとつながることによって、岩手県との強い「絆」ができてきたという感じです。

人が人を想うこと。それ自体が、大きなエネルギーに。

 被災地を訪れ、漁師さんと話をしますと、もちろん具体的な物の支援も必要なのですけれど、まず、「俺たちを勇気づけられるのは、誰かが来てくれること、忘れずに何度も来てくれることなんだよ」という話をおっしゃっています。本当にそうだなと思います。米国では、「誰かの靴を履いて歩いてみろ」ということわざがあるのですけれど、最初、被災地に入るときに、その言葉を思い出しました。当事者でない私たちは、軽々しく「気持ちはわかります」ということは口が裂けても言えない。だけど、とにかく頭の中では、「被災地の人たちの靴を履いて歩いてみる」という気持ちで被災地に入ってみれば、役に立つことが見えてくるんじゃないかと思って。その後は、回数を重ねれることで、心を開いて信用してもらえます。やはり、心のつながりというのが一番の明日へのエネルギーになっていくと思います。大切なのは、ずっと被災地訪問を続けるということ。そのなかで、心と心のつながりを求めていくということ。そして、被災地の声を全国に伝えていくという意味で、チャリティーライブをやっていこうと思っています。
いわてへのエール 第2回│シンガーソングライター 八神純子さん