【白井貴子さん】…神奈川県藤沢市出身、鎌倉市在住。フェリス女学院短期大学音楽科卒業。1981年 CBSソニーよりデビュー。学園祭の女王として一世を風靡する。その後一時渡米。帰国後は、個人レーベル『ROD』を設立し、作詞、作曲、バンド活動等幅広く活動。東日本大震災以降、幾度となく岩手県内を訪れ、チャリティライブなどを実施。陸前高田市を訪れる中で、被災地を元気付けたいという思いから『松の花音頭』を制作。
震災前から続く、岩手とのご縁。 
 東北、そして岩手県とのご縁は、ずいぶん前のNHKの番組取材がきっかけでした。「昼どき日本列島」という番組で、東北地方の縄文遺跡を訪ね歩くシリーズがあり、その時に東北に残る縄文遺跡の素晴らしさに開眼したんです。番組が終わった後も、文化庁から縄文のイベントに招待されて大船渡市へ行くなど、岩手県の皆さんとはとても仲良くさせていただいていました。ですから、東日本大震災が起きて、岩手県の皆さんの事が気がかりで気がかりで・・・。でも、何をどうすれば良いのか、何ができるのか?最初はわからなかったんですね。私みたいな者が行っても、復旧の即戦力にはならないし、足手まといになるのでは・・・とか。行ったら行ったで、みんなに気を遣わせてしまうのでは?とか、いろんな想いが去来していました。

仮設住宅での出逢いが生んだ「松の花音頭」。

 4月の終わりごろには、『フラワーエール』という団体で被災地に花を届けている友人に誘われて宮城県まで行きました。岩手県まで行くことができたのは、7月10日のこと。エコロジー活動をしている仲間が、生ごみを土に戻すプロジェクトをしておりまして、仮設住宅の生ごみを土地に返す作業のお手伝いについて行きました。その際に、たくさんの現地の人々と触れ合う機会がありまして・・・。ある時、現地のおじさんから「仮設住宅もできて、物資もそろった・・・でも、元気になれるような歌が欲しいなぁ・・・」とポツリと言われたのが心に残ったんです。物も食べ物もそろったけれども、愛する人は帰ってこない・・・そんな想いが伝わってきて。「このままだと仮設住宅に閉じこもって、外に出ない生活になってしまうのでは?」との不安がよぎり、みんなで外に出て前向きに生きて欲しい!という思いから「じゃあ、みんな元気になれるような盆踊りをつくりましょう!!!」と言ったんです。亡くなった方々の供養にもなりますしね・・・。それでできたのが「松の花音頭」です。松の花音頭のレコーディングには、地元の方々にも参加していただいています。それは、みんなで創ると、みんなで愛情を持てる一つの物になる!という思いから。この歌が、この街で、ずっと歌われ続けていくものになってほしいと思います。
いわてへのエール 第3回│シンガーソングライター 白井貴子さん